ながおかこしひかり
「金匠」とは?
~長岡で生まれたコシヒカリ~
誕生以来70年におよぶ長い間日本人に愛され続けているコシヒカリ。
現在でも40を超える都府県で栽培されており、全国シェア率は35.6%を誇ります。
2位の「ひとめぼれ」9.4%と圧倒的な差をつけて1位に輝き続けています。
(公益社団法人米穀安定供給確保支援機構「平成29年産水稲うるち米の品種別作付け動向について」による)
新潟県が今、総力を挙げて発信している新品種「新之助」。
新之助はコシヒカリの双璧となる事を願い誕生した新品種です。
つまりは「コシヒカリなしには新潟県の米は成り立たない」。
新品種台頭で話題を呼んでいる今だからこそ誕生した「金匠」なのです。
~長岡の米づくりの匠達~
今年で17回目を迎える「長岡うまい米コンテスト」
コメの作付面積は全国第2位(12,000ha以上=東京ディズニーランド235個分もの面積!)を誇る長岡市。
このコンテストには長岡市内から多くの生産者が参加し、そのうち上位20位のお米を作った生産者に「金匠」が授与されます。
ほんの一握りしかいない名匠が作り上げたコシヒカリ、「ながおかこしひかり金匠」を食べて匠達の熱い思いを感じてみてください。
令和6年度のコンテストにおいて
「金匠」を受賞した生産者
古井丸 剛
遠藤 喜仁
中村 明男
森 貴宏
伊藤 和成
大関 威
佐藤 正之
(株)すよし農事
高橋 勇一
彦根 徳寿郎
平沢 和雄
(農)ファーム中里
星野 明
星野 孝生
町田 晃
丸山 隆
八子 常雄
矢引 宏輝
長岡で生まれ、
不死鳥の如く羽ばたいた
コシヒカリの生誕秘話
コシヒカリは、長岡で生まれ、福井県で育ち、新潟県に里帰りして名付けられ、世に出たお米です。
第2次大戦敗戦色濃厚となる昭和 19年、長岡にある新潟県農業試験場指定試験地で
高橋浩之技官によって交配されたのが始まりです。
その後、福井県農事試験場で育てられ、福井大震災も凌ぎ新潟県に里帰り。
丈が長く倒伏しやすい育てにくい稲ながらも、その輝きが当時の技官たちの情熱に火をつけました。
その情熱により幾多の危機を乗り越えて育ったコシヒカリ。
「不味くて鳥もまたいで通る」と揶揄された新潟米はこの米により日本一と称されるようになったのです。
今や、全国的にも最も有名な花火大会の一つとなった長岡花火も、
第2次世界大戦の敗戦・荒廃した街の復興を願い先人たちが始めた「長岡復興祭」に始まり、
この祭によって長岡市民は心を慰められ励まされ、固く手を取り合いなが ら、
不撓不屈の精神でまちの復興に臨んだのでした。
時を同じく、新潟県の農業振興を願い不断の努力を重ね今の地位を築き上げたコシヒカリ。この長岡の二つの宝には、
不死鳥の如く未来につなげる、平和と繁栄の願いが込められているのです。
「長岡産コシヒカリ金匠」 長岡うまい米コンテストで金賞を受賞。
コシヒカリ誕生秘話を現代に繋ぐ、米作りの名匠が魂を込めて作ったコシヒカリです。
長岡産コシヒカリ 金匠 一同
私達は長岡花火を
応援しています。
長岡産コシヒカリ「金匠」の売上の一部は長岡花火に寄付されます。

「金匠」の売上金額の一部は、長岡花火の今後のさらなる普及活動に対して寄付されます。
